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自分音楽遍歴

このHPを作るにあたって内容に少しでも厚みを出すために、
私Kが過去に書いたコラムを掲載。

以前、Kが所属していた某バンドのHP掲示板に綴ったモノです。
2001〜2年くらいに書いたかねぇ?
メンバーからは「長過ぎっ!」とクレームがついた。

※表記や表現など、修正してる所があります。
('05.3.11)


 

1.はじめに
音を聞く、映像を見る、文字を読むというごく単純な作業は幼児期から本人が好むor好まないに関わらず絶対に経験する事だ。
物心がつく頃にはその作業も音楽鑑賞、映画鑑賞(TV鑑賞)、読書という文化的な趣味として認識し始める。
その三つは文系三大趣味と勝手に名付けてしまうが、それらに造詣を深めていく者もいれば、敬遠・拒否・排除する者もいたりして個人のアイデンティティをも左右してしまう重要な要素だったりする。

無論わたくしKは音楽に対し情熱を燃やし始め音楽鑑賞→CD収集→楽器演奏→作曲という風にどんどん深みの方へ入っていった。
だがしかし、今となってはマニアックといわれるこの俺も幼少時は音楽に対する知識、素養、興味はほとんど無かった。
何故に純真無垢な少年がこのようなインチキバンドマンになってしまったのか?
そう、まさに小っちゃなアナキン坊やが何故ダースベイダーになってしまったのかと同じ!
連載第1回目という事もあり自己紹介的に俺がどんな感じで音楽に接してきたかを綴りたいと思います。
回想してる内に自分自身でも新たな発見が見つかるかもしれないな。


 
2.刻印
皆さんそれぞれに長年嗜んできた趣味というものがあるでしょう。
だけど先ほどの問題提起にもある通り何故好きになったのかと考えた事はありますか?

俺の好きな曲というのは「ほんのりダーク、暗さの中にも美しさや華麗さ、だけど激しい」みたいな感じで、音楽形体でいうとHARD ROCK/HEAVY METAL(以下HR/HM)が一番好き。
そんなマイナー調でメロディアスな曲好きの俺は「何でこういう曲ばっか好きなんだろう・・・」とふと疑問に思った事がある。

幼少時に強烈にインパクトのある曲に出会い、それが潜在意識としていまだに残っている。
それは幼稚園のお遊戯でも無く子守唄でも無くTVから流れてきた子門真人の唄う「およげたいやきくん」だ。
いきなりもの悲しいイントロから始まり堂々と歌い上げられる切ないメロディ、一見子供向けでバカバカしくも最後は泣かせる詩世界。
ああ、これはまさに様式美じゃないかっ!!!!
当時の俺はジーンと感動しながらもあくまでポンキッキの中の一つの歌コーナーとして捉えていただけであろう。
断定は出来ないが「およげ〜」を聞いた事によって現在の音楽的嗜好が形成されたのではないかと思う。


 
3.潜伏
俺の音楽遍歴にとって小学校時代は暗黒期である。

小2で地元の少年野球チームに入り、好きなテレビ番組は「8時だよ!全員集合!」、兄ちゃんや姉ちゃんもいないので大人びた音楽番組を見る事もまず無かった。
音楽的素養もまるで無くやる気も無かった。
音楽の授業中はたて笛で♪ミッソソミッソソミッソソララソー♪とかいって「サッポロ一番」のCMテーマを吹いてヒステリックな女教師にひっぱたかれるというプレイを楽しんでいた。

高学年になると男子も女子も好きなアイドルのレコードを買ったり、前日放送していた音楽番組の話で盛り上がるようになっていくが俺はどうも「女っぽいな」と感じ、避けていた。


 
4.接触
小学校を卒業する時に記念に親からラジカセを買ってもらった。
そして中学に入り、そのうちCDラジカセも家に置かれるようになった。
今思えばその一連の動作が無ければここまで音楽に傾倒する事は無かっただろう。

あるクラスメートが皆に空テープを持ってくるようにと言う。
そしてダビングされて帰ってきたテープには彼が熱心にワープロで打ったであろう歌詞カードが添付されていた。
家に帰り「THE BLUE HEARTS」と銘打たれたテープを早速買ってもらったラジカセで聞いてみる。
ブルーハーツは知らなかった訳では無い。
CMで「き〜が〜くーるーいーそーお〜」というのを聞いていたので「ああ、アブない人達なのかな」ぐらいに思っていた。
だけどもまともにバンドの曲を聞いた事の無い俺にとっては衝撃的でその日の内に何度も何度も繰り返し聞き、すっかり気に入ってしまった。
翌日学校に行くとその彼はテープを聞いた感想を最高に嬉しそうな顔で皆に聞いて回ってるではないか!
それからというもの、クラスではブルーハーツが大流行し、彼の策略は大成功に終わった。(彼のやっていた事は後に俺のヘヴィメタル布教活動のお手本となった)

正直な話、そのテープに収められていたのがたまたまブルーハーツだっただけで他のアーティストでも気に入っていただろう。
ユニコーンだとしても米米クラブだとしてもソフトバレエだとしても。
まだその頃は自分でこの曲は好きとか嫌いとか判断できなかった、というよりも周りに流されていた。
友達との会話はゲームとかマンガの話題が中心だったのに新たなジャンルで共通の話題ができたことに浮かれていたのであろう。

レンタルCD屋に通い詰めるようになり、しばらくはビートロック系のバンドを色々と聞いていたのだがまたしても小学校の時と同じように兄&姉のいる奴らは一歩先を進み出す。
彼等は大人びた洋楽指向になっていったのだ。
洋楽といやぁAXIAのCMで「うぉ〜おー!りーびおなぷれいやー!」とかいって唄っているBON JOVIしか知らないよ。
ボンジョビは気に入ったがヨーロッパを勧められた時「名前がダセーなぁ・・・」と心の中で思い、それだけの理由で遠慮した事がある。(後にバンドでコピーしたりライヴを観に行ったりするくせに)

中3の時、イカ天の影響で友達がギャグでバンド組もうぜといってきた。
うちの中学には学園祭もないし、軽音部もないしバンドというものが全く現実味のあるものではなかった。
だけどそんな冗談混じりの話の中でも俺は絶対にエレキギターをやりたいと思っていた。


 
5.覚醒
高校に入学してすぐエレキギターを買ってもらった。
ヤングギターやカタログをじっくり読みあさり、当時はすごくカッコよく見えたフェルナンデスかアリアプロ2のギターを買おうと思い楽器屋へ向かったのだが店員に「こんなのはねぇ、すぐ飽きるんだよ!もっとシンプルでトラディショナルなデザインのを選んだ方が良いぞ!大体最近は女の子にモテようとして・・・」といきなり怒られてしまい、結局選んでもらったのがフェンダーのストラトキャスター。
家に持って帰ってじっくり見てみるとなかなか渋くて味わい深いのだが最初は「ゲッ!」と思ったね。
それからは全く独学での孤独な練習が始まった。

入学して間もなく隣の席の奴と仲良くなり好きな音楽の話とかをするようになるがそいつとの出合いがまたもや俺の運命を変えてしまった。
俺はその時、氷室、COMPLEX、BUCK-TICK、TMなどを愛聴していたのだが、彼はそれらのアーティストをことごとく全否定してくるのだ。
「ダセーの聴いてんなー」って感じで。
当然俺はそこで嫌な気分になる訳だが「そこまで言うくらいならさぞかし素晴らしい音楽を聴いてんだろうなぁ、おたくは」と心の中で思い、やんわりと問いただしてみた。
スラッシュメタルバンド、メタリカが好きだと彼は言った。
俺はXも好きで、Xがスラッシュメタルの影響でああいう激しいスタイルで演奏しているというのを本で読んだ事があった。
「あ、それなら俺X好きだよ」と歩み寄りを求めたら「そんなのと一緒にすんじゃねーよ!」と怒られた。

確かにヤングギターを読み、イングヴェイ・マルムスティーンとかいう人の奏法解説やMR.BIGとかいうバンドのスコアを見たりして洋楽HR/HMの世界に興味を持ち始め、ちょっとどんなもんか聴いてみたいなという気持ちはあった。
自分の聴いてきた音楽が全否定されたとて、そいつのウォークマンに入っているメタリカというバンドを聴いてみたいという衝動は止められなかった。
ボロ〜ンとアコースティックギターが情熱的に奏で、今まで聴いた事もないような歪んだギターサウンドがドジャーッとなり、高速リフで切り刻まれ、吐き捨てヴォーカルに鼻血ブー。
そう、俺が初めて聴いたリアルメタルはメタリカの3rdアルバム『メタル・マスター』(原題:MASTER OF PUPPETS)の1曲目「BATTERY」である!
いやもう「何かに目覚める瞬間」があんなハッキリと訪れたのは生まれて初めてだったなぁ。(それからというもの、いろんな事に目覚めちゃったけど)
それぐらい衝撃だった。


 
6.入信
邦楽もそこそこにHR/HMを聴き始めた俺は「速い」をキーワードにテンポの速いスラッシュメタルや、速弾きギターのイングヴェイを愛聴するようになっていった。
そこへ新たな刺客がっ!

「速いのはいねーか〜」とナマハゲのようにつぶやきながらレンタルCD屋を物色する日々が続いたが、そんなある日「ジャーマンメタル」というキーワードを知った。
その連中も速くて激しいのをやってるというじゃねーかという事でその代表的バンド、ハロウィンを聴いてみる事にした。
『守護神伝 -第1章-』(原題:KEEPER OF THE SEVEN KEYS PART1)というとても大仰なタイトルからして早速引き込まれる。
1〜2曲めは「INITIATION〜I'M ALIVE」という曲なのだが1曲目のダークなイントロダクションから2曲目に速い曲が始まるという手法はHR/HMの定番で、メタル歴の浅い俺でも「おっ来たなっ!」というのはよくわかった。
だがしかし、このバンドは今まで聴いたパターンよりもはるかにドラマチック。
ギターのバッキングは激しいながらもツインでメロディアスに奏で、その上を抑揚のあるヴォーカルメロディが乗っかる。
超未体験ゾーンの曲に開始3分足らずで脳みそメルティ。
そして早くも「何かに目覚める瞬間」を再度体験する事になる。

「I'M ALIVE」のサビが終わって間奏に入る。
かなり転調が多くツインリードでゴリ押しするのだが、その最後の転調をした瞬間にほとんど奇跡的なぐらいインパクトの強いリードギターメロディが飛び出したのだ。
それまでの澱んだ感じを一瞬にして払拭し、パーッと明るく視界が開けたって感じの素晴らしいソロ。
それを聴いた瞬間「これだよぉーっ!これっ!こういうのが聴きたかったんだよっ!!」と心の中で絶叫し、独り、部屋で感動にうち震えていた。

ハロウィンのようなバンドの事をメロディックスピードメタルと分類する事も学び、そのジャンルを中心に色々と聴きあさった。
より華麗なメロディや曲展開に固執するようになっていき、この頃(高校1年〜2年)にはもうすでに2.刻印で書いた現在の俺の好みにかなり近付いている。
そして第二次暗黒期が到来する。

ほとんど邦楽を聴かなくなり、とくにポップスに関しては「やわな音楽だな・・・、日和ってる!」とバカにしはじめた。
「BURRN!」を愛読し、HR/HM至上主義を唱え、鋼鉄神に忠誠を誓っていた。
もう完全に洗脳されていたのである。


 
7.試練
肝心のギターの方はというとブルーハーツ、BOφWY、Xのスコアを買ってきて練習をしていたのだが一向に上手くならなかった。
ブルーハーツは流石に簡単だったが、布袋流カッティングギターが全く要領をつかめず、BOφWYは簡単な曲とかソロばっか練習していた。
Xに至ってはギター始めて1年も経たない初心者に弾けるような代物ではなかった。
そんな所へ5.覚醒〜6.入信で書いたHR/HMブームが来てしまい、当然ながら「いずれはこういうのを弾いてみたい」願望が生まれる。
Xも弾けないクセにイングヴェイ・マルムスティーンだのポール・ギルバート(当時MR.BIG)だのザック・ワイルド(当時OZZY OSBOURNE BAND)だの凄腕ギタリストをコピーできる訳がない。
これはちょっとマジでやんなきゃダメだなと思い、教則本片手にエレキギターの基本的なテクニックを学び、運指練習をするようになった。
教則本には過去の伝説的ギタリストのプレイが練習曲として載っていてDEEP PURPLEの「HIGHWAY STAR」を必死に練習した。
これはHR/HMの曲で初めて弾けた曲であり、後にバンドでもやる事になった思い出深い1曲だ。
リッチー・ブラックモアの弾いてるさまも最高にかっこよかった。
目をつぶって酔いしれながら華麗なフレーズを奏でる。
指板上でパタパタと動く運指もまた華麗だ。

次に本格的に練習したギタリストはランディ・ローズ。
曲はオジー・オズボーンの「MR.CROWLEY」という曲。(こちらもバンドでやる事になる運命の曲)
超感情移入型のプレイヤーで、クラシックの素養もあり、華麗なコード進行の上に美しく激しい泣きのフレーズを描いていく。
この曲のギターソロは多くのギタリストがおもらしジャーとなった事であろう。
とはいってもランディ・ローズのギタープレイはミュージシャンだけでなく、ごく普通の一般リスナーの心まで捉えてしまう凄さがある。(興味のある方は是非聴いてみて下さい)


 
8.浄化
そして大学入学、ハワイアンクラブ入部。
当初ハワイアンがお笑いを追求するクラブだという事を全く気付いてなかった俺は、同じ1年生の仲間に熱くHR/HM話をしたり、「えっ、こんな事も知らないの?」と知識をひけらかしたりして、「なんだ、こいつ?」とかなり疎まれていたに違いない。
まだHR/HM至上主義が根底にあったのだが、音楽をやるにあたってそんな事はどうでもいいという事にだんだん気付き始めた。
やはりずーっとバンドも組まずに家でちまちま弾いてたからそんな風になっちまったんだろうなー。
濃いぃ先輩に出会い、キャラ豊富な同期に囲まれ(埋もれ)、部室に集まるだけで最高に楽しくなっていった。
音楽観も変わり「良いものは良い」と他ジャンルも素直に受け入れる事ができるようになっていきましたとさ・・・


 
9.おわりに
色々省いた部分が数多くあり、バンド活動を始めてから現在に至るまでの紆余曲折もあるのだが、自分の中で「ハワイアン入部まで」と決めていたのでここで終わりにします。
自分では全く書き足りないのだが、自分以外の人から見れば「長ぇーなぁ」と思われるかもね。
それでも最後まで読んでくれた人どうもありがとう!

 


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